ヒトツマミの歴史を整理してみた

みなさん、こんにちは。ほくりくんです。

記事書くの超久しぶりです。最後に記事を書いたのが去年の2月ぐらいなので、実に約1年ぶり。1年がどれくらいの長さか分かりやすく説明すると、TWICEのカムバックまでの期間以上BLACKPINKのカムバックまでの期間未満ぐらいです。

はやくブルピンカムバしないかなー




さて、なぜ私が1年の期間を経て、ヒトツマミに戻ってきたのか。みなさん気になりますよね。そんな皆さんにご報告があります。


私事ではありますが、前代編集長ぜんざい先輩を引き継ぎ、


ヒトツマミ編集長になりました!!!


いえーい

編集長になった経緯は以下のlineの通りです。


編集長なるのちょれーー-ー--


秋冬学期終わったんですけどランチの誘いまだですかね





テストもレポートも終わり長期休みに入ったということで、そろそろヒトツマミ始動させましょう。


ヒトツマミの知名度あげるために頑張るぞ!



と、ここで疑問が浮かんできます。



そういえばヒトツマミって何年続いてるの?ほくりくんって何代目編集長にあたるの?


というわけで一旦ヒトツマミの歴史について整理したいと思います。



ヒトツマミの性格や出身高校は?父母・兄弟や気になる彼女の噂について調べてみた!

(この記事は現ヒトツマミライターや元ヒトツマミライター、そして未来のヒトツマミライターの方向けです。すなわち全員です。特に、元ライターだった先輩方、もしこの記事を見て訂正箇所があったらDMください。お願いします。)


1、ヒトツマミの始まり

2016.07.11の記事を見てみましょう。

ヒトツマミのこれまで、そしてこれから | ヒトツマミ (hit-tsumami.com)


始まりのきっかけは、一橋生向けウェブサイトの運営をしたい、という思いからですね。裏話ですが、オモコロさんの記事が好きな先輩がいてそれに触発されたそうです。


先ほどの記事によると、

「4月初めにプロジェクトが決まる」

「2015年6月2日にサイトを開設」

と書かれています。

まとめると

2015年の4月にプロジェクトチームが結成。二か月間のインディーズ時代を経て、2015年6月2日にメジャーデビューしたことが分かります。6月2日なのでおむつの日にデビューですね。


なので今年2022年でヒトツマミは7周年を迎えたことになります。おめでとー



2、歴代編集長

過去の記事と先輩からの話を聞くに、大体このようになりました。



拡大してください



ということで私は8代目編集長にあたります。

8代目なので道重です。


3、各編集長時代の特徴

各年代の記事と先輩の話からポイントをおさえていきます。

そして各時代の特徴をまとめたうえで8代目以降はどのようにヒトツマミを運営していくべきか考えましょう。


2015年あたり(1代目から3代目)

・たかたさんが支配

・後輩に野草を食べさせる

・投稿頻度も多く、ライターに過重労働


以上より、編集長が絶対的な権力を持っていることが分かります。まさに初期のヒトツマミは『王政』であったのですね。


2016年~2021年(4代目から7代目まで)

・数人で書いてる

・ライター以外にも協力者多い

・一期一会なライターも多い


以上より、編集長の指導の下、みんなで話し合って記事を書いていることが分かります。いつの間にか王政を終え、ヒトツマミは『共和制』になっていたのですね。




ちょまてよ……。



王政からの共和制……。




いやこれ近代のイギリスの流れやないかい!!!



温故知新が座右の銘なので近代のイギリスに従い、8代目以降『立憲君主制』でいきましょう。

ということでヒトツマミでも憲法を制定します。もちろん草案は編集長である私が作成します。



詳しいところまではわかりませんが、大まかにヒトツマミの実態がつかめたような気がします。



7周年を迎えたヒトツマミをどうかよろしくお願いします






投稿頻度に関しては言及しません。