4年生必見。一橋の卒業アルバム、なかなか手が込んでます。
どうも、しーがるです。
突然ですが、皆さんは、「卒業アルバム」ってどうしてますか?
自室の清掃時における最大の敵と言っても過言ではない、卒業アルバム。あるいは、悲しいことがあったら開いたりするのでしょうか。で、優しい目をしたあの人に叱ってもらったりするのですか?…羨ましいです、共学出身って。
大事にとっておく人がいる一方で、ある調査 ※参照 によると、20代の男女ともに約20%もの人が「小中高いずれかの卒業アルバムを、故意に捨てたことがある」そうです。「卒アルなんていらない」なんて思っている人、いませんか?SNSが普及した今日、デジタルなアルバムで満足しがちですよね。
この風潮に異を唱える人々がいます。その名も、一橋卒業アルバム委員会。
どうして今、卒アルなのかっ!?
卒アル委員、商学部4年の北島貴一さんへの取材をもとに、まとめました。
卒アル否定派の皆さんも、肯定派の皆さんも、とりあえず読んでみてください。卒アルのとらえ方がきっと変わります。
一橋卒アルの意義その1…思い出が長持ちする
「アナログな、100年残るものを皆さんの手元に置いてほしい。」
今日、思い出を残す手段として、デジタルデータに残すのがメジャーになっています。デジタルだと、非常に便利ですよね。スマホとか、Facebookとか、LINEのアルバム機能を利用すれば、見返しやすいこと、この上ありません。
しかし、これらのデジタルデータは、10年後、振り返れるのか。
例えば、
「中学生の時に使ってた携帯電話の中の画像は、今も手元に残ってる?」北島さんは問いかけます。
恥ずかしながら、私個人としましては、画像どころか、携帯電話ごと行方不明です。中学の思い出の一部は完全に吹っ飛んでます。撮るだけ撮って、データを失くしてしまう。よくある話だと思いますが…。このようにデジタルだと、5年前の思い出ですら、危うい場合もあるのです。
一方で、卒業アルバムは、捨てられる恐れもなく、丈夫な素材を使っているので、「100年はもつ」とのこと。HDDや、SDカードのように、湿気や熱にやられて破損することもないわけです。
「デジタル時代だからこそ、みんな物に(思い出を)残さない。逆説的に、(卒アルのようなアナログ的手段の)重要性は年々増している。みんなが残さないからこそ、残さなきゃいけない。」
北島さんの表現を借りれば、画像をデータ上のものにとどめずに、この場合はアルバムという「形にする」ことで、確実に思い出の長期保存ができるのです。
もし20年前、既にデジタル時代が到来していたとしたら。私たちの成長記録だって危なかったかもしれませんね。現代を生きる子供たちの成長はどう記録されているのか、気になるところです。
一橋卒アルの意義その2…実用性
意外な実用性を教えてもらいました。両手で持って、気に入らない相手の頭上に振り上げ叩きつける類のものとはもちろん違います。北島さん曰く、卒アルは、「同期全体で共有できる一つの思い出」だそう。
確かにそうですよね。
皆さん様々に大学生活を送ってきたとしても、その集大成がこの卒アルとなるわけですから。Facebookとか、LINEのアルバムとはわけが違いますね。更に、社会人10年目くらいになった時に、同期と名乗る人物に出会った時のことを考えてみましょう。なるほど、卒アルでその人を確認することができますね。例えば、「こんな地味な髪型だったんだ…!!」などと。便利なツールです。
あとはですね、その年の世相を反映するので、文化的な価値があります。
社会学部としては、めくっていて非常にワクワクしてしまいました。
※上の画像は、デ〇ノートではなく、昭和45年の卒業アルバムです。
英語の立て札。
学生、闘ってますね。
他にも楽しみ方はあります。卒アルのバックナンバーの中には、皆さんおなじみの教授が、大学生の、あるいは出世前の姿でいたりするんです。そのページも撮りましたが、さすがに載せるわけにはいきませんでした…。バックナンバーはすべて図書館の書庫に置いてあります。見たいという人はぜひ。
蓼沼宏一学長のお父上もまた一橋の学長だったことが分かるなど、この大学の歴史にも詳しくなれます。
一橋卒アルの意義その3…生徒主体
「卒アルは、学生が作るもの。」
一橋の卒アルは、生徒が主体となって作られています。卒アル委員はみんな写真部で、業者と同レベルに写真に詳しく、外部に丸投げしたのではできないような、よりこだわった卒アル作りをしているそうです。例えば、集合写真について言うなら、仲の良い団体の写真を近くに配置するとか、撮影場所の融通を利かせるとか。多くの団体は、もちろん兼松前で撮っていますが(非常に映えるスポットです)、ボート部なら戸田、弓道部なら弓道場で撮ったりと、希望があれば”できる限り”生徒の思いを尊重する姿勢が伺えます。編集や校正、そして美しいレイアウトまで生徒が考える。こういう学校は今時少ないそうです。卒アルは一橋の文化の一つと言えるかもしれません。
出来上がったアルバムが手元に来たとき、それを卒業式で卒業生に渡すとき。このアルバムが100年残るんだと実感して嬉しく思う一方で、出来上がるまでの苦労は絶えないそうです。
「苦労したことがありすぎて…」
同じ学生の目線でアルバムを作るのは意義のあることだとはいえ、やはり自分たちでこだわって、レイアウトなどを考えるのは大変です。
また、集合写真の予約を忘れてしまった団体があると、出来上がった後にその団体だけがアルバムにいなかったりして、悲しい思いをすることもしばしば。(去年は、某巨大体育会が予約を忘れていたとか…。)
くれぐれも集合写真の撮影の予約は忘れずに、とのことでした。
今年は11月に混むのが予想されるため、お早めに!!
※ご予約はこちらから。
なお、卒アルには、スナップ写真のページもあります。 が、肖像権の問題に引っかかって、委員の皆さんが勝手に構内で生徒たちを撮るわけにもいきません。よって、一般の生徒から募るということです。まさに全員参加スタイル。多くの人の協力で成り立つんですね。
自分の撮ったスナップ写真を、卒アルに載せても良いよと言って下さる4年生の方、よろしければこちらからご応募を!
~おまけ~
古い卒アルを眺めていると、いろいろあります。
「帰宅部」 溢れ出るユーモア。
「女という城」…って、津田じゃないですか。
「誰がために彼女等は学ぶ」
東京女子大です。この、津田との扱いの差は何なのでしょう。
「明日は明日の風が吹くさ」「諦めが肝心」「一難去って」
含蓄のある先人の言葉で、今回は終わりにしようと思います。
ありがとうございました。