君は、まだ本当のエモさを知らない。

 「エモい」という概念が普及して久しい。

 私もこの概念を知ってから、「エモい」と口に出す機会が増えたように感じる。

 感情の機微 ー 懐かしさや切なさが混ざり合ったような、言葉では表しにくいもの ー の説明をこの一言すべてに委ねてしまうのは、どうにも日本語の多様性をむだ遣いしているような気はするが。

 

 さてさて、概念が広く普及すると、どうにも私たちはその中でオリジナリティを求めてしまう傾向にある。

 大衆に埋もれないように、なにか「ほかとの違い」を出す必要がある、と言い換えてもよい。

 もはや「エモさ」もそのフェーズに突入してしまった。

 「エモいかどうか」にかかわらず、人と違うところで「エモい」と言わないといけない社会なのだ!!!

 ということで、君に「差がつくエモ」を教えよう。


「攻略本」

 はい、エモい。

 これは基本ですね。説明いらず。

 わからないって?そうか、しょうがないな。

 ネットでなんでも調べられるこの時代、あえてお金を支払って本という形でゲームの情報を買う行為そのものに価値があるのだ。

 それに、あの頃の思い出も鮮明によみがえる。

 近くのブックオフに行ったはいいものの見つからず、結局定価で買ってしまったなぁ。

 親と決めたゲーム使用可能時間を過ぎてしまったけどゲームに対する熱量が残っているから、仕方なく攻略本のページをパラパラめくっていたなぁ。

 ストーリーの続きが載っているので見てみたい思いと、攻略本では見まいとする気持ちが葛藤して、結局ページの隅をちょっとずつめくってのぞき見しようとしたなぁ。

 覚えてしまったキャラクターの進化レベル。

 いつのまにか無くなっていたカバー。

 嗚呼、エモい。

 これは小説などの、ほかの紙媒体では味わうことのできない、特徴的な「エモ」だといえる。

 …… お前個人の思い出だろって?

 だからなんだよ。共感されないと「エモ」じゃないのかよ。

 既存の「エモ」に囚われないのが真の「エモ」ってもんだろ。


 「再び」という概念

 はい、エモい。

 これは応用ですね。

 ここで「エモい」と言える人は、みんなに一目置かれますよ。

 説明をしてあげよう。

 「再び」という言葉が用いられるとき、そこでは現在と過去の2状態が同時に呼び起される。

 わかりやすいところだと、「再会」

 これは「いま出会っている」という事実に加えて、「昔会ったことがある」という関係性も表現されている。

 昔何があったのか

 なぜ別れたのか(再会の前提に「別れ」があることは自明)

 別れたのちに両者に何があったのか

 そしてなぜ今再び会うことになったのか。

 これらすべてを包含している、そして考えさせられる。

 嗚呼、エモい。

 

 うんうん、これはエモいな。君もそう思うだろ?

 ……ファンタジー脳だって?

 なんだよ、お前はさっきから否定ばかり…

 (ベットから身を起こして不満そうな表情をする)

 あ、看護師さん良いところに。こいつが俺の「エモい」を理解しなくてさぁ…

 え?面会の時間は終わり?

 もうそんな時間か。別の話聞かせてやるからさ、また会いに来てくれよ。