とりあえず何でもかんでも回転させておけば人は幸せになるんじゃないか仮説

 

下っ腹が日に日にふくよかになっていくシーズンですね、お久しぶりですゆーきゃんです。
 
皆さんの日々に有益な情報を伝えることができるような有意義な生活は送っていないので、今回はちょっとした発見をクソみたいなコラムとして共有させていただきます。
 
時間がない方は最後のgif画像だけ見て、鼻で笑ってお帰りくだされ。
ではどうぞ


ある休日の出来事です。
従妹×2が僕の腕をつかんだ状態で時計回りに走り出し、反強制的に自転しさせられていました。
その時の従妹たちの笑顔を見て一つの仮説を思いついたのです
 
 
「人間、何かしらの形で回転に関われば笑顔になるんじゃね?」と(決してチビどもに回転させられたことで興奮したりはしておりませぬ。あしからず)
 

意外にもその仮説を支えるような例が、身の周りに沢山あったので紹介しておきます!


1.コーヒーカップ

もちろん写真のコーヒーも回転なしには作り得ないが、今回お話ししたいのは遊園地のコーヒーカップについてだ。フリーのいい写真がなかったためにこの写真を使っているわけではない。決して。・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい、なかったんです。
 

先の仮説を否定して考えると、この遊具は狂気の沙汰としか言いようがないでしょう
考えてもみてください、大の大人までもが「食器を模した巨大な人工物」の中に入り、「怖いーーーー!!」などと叫びながら楽しそう笑顔を振りまいているんです。ダブルスタンダートでしょうか・・?
いいえ、違います。
 
 
 
 
そう、人は回転から喜びを得ているのです。
 
 
短い人生の貴重な時間を、将来に思いをはせたり、やらなければならないことを終わらせたりすることを放棄してまで人は回転を、三半規管トレーニングを選ぶ生き物だということが分かる一つの例です。
 

 


2.観覧車

個室が回転するだけで人は楽しくなるのです。
 
 
「回転ではなく見える風景がだんだん変わっていくのを見るのが楽しいんだ」という反論が聞こえてきますが、あなたは立川のグランデュオのエレベーター(背面がガラス張りになっており、外の景色が見られます)を数十回乗ることと、観覧車、どちらを選びますか?
 

答えは自明でしょう。
 
 
 
 
そう、人は回転から喜びを得ているのです。
 
 
 
 
告白するとしてエレベーター内と観覧車、どちらを選びますか?
犬畜生だって観覧車だと言っています。

 


3.爆笑レッドカーペット

画像引用元

基本的には普通のお笑い番組と大差ないこの番組。一時期は記憶に残る高視聴率を記録していましたね。
何によって差別化がなされたのか?
 
 
 
 
 
回転です。
 
 
 
 
そう、人は回転から喜びを得ているのです。
 
 
 
上の気持ち悪い唐辛子のできそこないのようなキャラ。ゲストの芸能人が劣悪な趣味を持っていた際、面白さのかけらもないような芸人・洗濯機が揺れる様子を観測していた方がまだ面白いような芸人が二回でるようなシステム。これらは高視聴率の要因ではありません。

回転が主な原因でしょう。

 


 4.地球の自転公転

 
この世界と回転に乾杯。
 
 
 
 


5.わたがし

 

わたがしの製造過程において、回転は必要不可欠なのはご存じですよね?
 
 
アダルトチルドレンも目を輝かせ、生きることの喜びを見出せない現代社会の歯車の一つとなってしまった大人だって「あの頃」を思い出してつい手を伸ばしてしまうわたがし。

 
 
あの名曲だってわたがし抜きには生まれ得ませんでした。つまり回転抜きには生まれ得なかったのです。

そう、回転は時に名曲を生む。

 


6.回転寿司

そう、これは革命。
 
回転寿司がなぜinnovativeなのか、そう、それはひとえに回転しているからです。
回転させることにより、少ない商品数で多くの顧客の寿司認知を高め、注文制であったら頼まなかったであろうネタに手を伸ばさせる。
認知集合に属していた寿司を一気に考慮集合にぶちむことに成功しているのです。回転させただけなのに!
 
 
 
そう、回転は高い経済効果をも持つ。
 
 
 
 


7.かごめかごめ

 
回転抜きのかごめかごめを想像してみてください。
ビジュアル的にも圧倒的気味の悪い儀式感が生じるにとどまらず、
どう考えても少なくとも二人以上の人が不幸になる遊びになってしまいます。
 
位置関係が変わらないうえ、回転が許されないということは中央の人の向きを変えることもできません。
 
したがって二人が永遠に場所を交換し続ける遊びになり、以下の様な事態に陥ります。

和風怪談小説の冒頭みたいになってしまうのです。
そこに一さじの回転を加えるだけで楽しい少年時代の思い出に早変わりです。
 
 
 
そう、回転は悲劇を回避する。
 
 
 
 
 


8.ライブ

 

  
どちらもライブ時にはタオルを回す曲です。
 
皆さんはライブにいったことがあるでしょうか?
 
回転がなければタオルを回すべき曲でも回すことはかないません。
 
回せない物販タオルに価値なんてない、そう僕の祖父も言っておりました。
 
 
 
また、激しめのライブがお好きな方に想像していただきたい。
 
モッシュやウォールオブデスのないライブを。
 
ボーカルが「回れええええええ!!!」などと言った時に観客が回らなかった時の会場の空気感を。
 
地獄です。
 
 
 
 
 
 
 
そう、回転はライブのエッセンス。
 
 
 
 


9.遠心分離機

 
なんか生物学の発展とかにとても貢献してそうですよね。
そんな遠心分離機も回転抜きには成立しないデバイスなのです。
 
 
 
そう、回転はなんかすげえ。
 
 
 
 
遠心分離機話だけでは終わりません。回転がなければドアノブも回せません。多くの機械も作動しません。蛇口だって開閉できません。時計も機能しません。回転抜きには機能しないものはとても多いのです。
 
 
 
そう、NO 回転 NO LIFE なわけです。
 
 
しかし、回転が時に争いを生むのも事実です。
「回転してるのどっちやねん事案(通称、天動説・地動説論争)」によって多くの不必要な血が流れてきました。
そのような悲劇を起こさないために、私達は回転を人を笑顔にするため用いていく必要がありましょう。
 
一日一つ、良い回転を生んでいきましょう。
山手線という回転を止めぬよう、車内マナーを守る。
鞄をはさまない。
線路内に立ち入らない。
そんなことからでもいいのです。一つ一つの積み重ねが社会を円滑に回して、回転させていくのです。(小学生のころ、キッショい同級生がこんなことを作文に書いておりました。同窓会も近いですが、とても、とても会いたくないです)
 
その実践として、某猫に回転していただきました(とても古いネタと新しいネタをぶち込んでみました)。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。