こんにちは。りんどばーぐです。新歓インスタにヒトツマミのリンクのっけたから新入生が見てくれてるとうれしいなあ。
この冬休みくらい何かを成し遂げたいなと思いまして、考えた結果、本を読むことにしました。筆者は普段本など読みません。漫画すらあまり読みません。ワンピースはドレスローザくらいまで読みました。
まあ本といってもジャンルは無限にあるわけですが、とりあえずは本屋に行って考えようっと。
んで、向かったのが新宿にある紀伊國屋書店。2階のメインのとこに置いてある新刊の小説でもいいなあと思いましたが、なんか違うなと。どうせなら何かためになるものでも読みたいなと思い(小説がためにならないとは言ってない…)向かったのが、文庫本のコーナー。
評論だの古典だのいろいろありすぎてよくわからなかったのですが、知っているタイトルを見つけました。
『社会契約論』、『資本論』、『ツァラトゥストラはかく語りき』…!!!
高校倫理で習った名著たちではないですか!
「さぞ難解なことが書かれているのだろうな、受けて立とう!」と心を躍らせながら眺めた末に手に取ったのが、文系学生の必読書としても名高い、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。タイトルの語感がいい!上記ツァラトゥストラに劣らぬ言葉の響きがたまらないですね!
HASCの早起きプロジェクト(朝7時半に起きて1時間何かをする)に参加した筆者は、早起きしてプロ倫を読むというこの上なく文化的な活動にいそしみました。一日おきくらいでサボったけど。
読めばわかるのですが、この本、とにかく注釈が多い!本文よりも多いんじゃないかってぐらい!背景情報の追加とか、「この記述については〇〇(著者)の〇〇(書籍)を参照」とか。それはもうしんどいの。
んで、肝心の本文だけど、それも延々と宗教の説明ばっかりで全然「資本主義の精神」に行かないわけ。そしてその宗教の話も「この話、要る?」というのが多くて、冗長だし難しいしで読む気力をどんどん奪っていくものなんですよ。(個人の感想)
350ページくらいあるうちでしっくり来たのは最後の40ページくらい。ここに論点が詰まってました。
この本結局何が言いたいかっていうのを簡単に書くと、
まず、昔のプロテスタント、そのうちでも特に熱心な宗派(カルヴァン派?)は「神によって自分があの世で救済されるかどうかはもう決まってて、善行を積もうが何しようがそれは変えられない。」と思っていました。(予定説)
でも人々は救済されるかどうかとっても不安なわけです。なので救済の確証が何としても欲しかったのです。そこで人々は「俺らが救済される側なら、神が与えてくださった天職を全うするはずじゃん!さすがにニートは救われないだろ。」みたいに考えて自分が救済される側に入ってると自分に言い聞かせるため、労働をガチりました。
一生懸命労働するだけではありません。その当時、(今でもだけど)お金はなんか悪いもの、つつましくないものかのように考えられてました。でも、本当に良くないのはお金そのものではなくお金を浪費して享楽的に過ごすことなのです。んで、彼らは消費自体も最低限にして禁欲的に過ごしました。
そして、労働は正義、禁欲も正義となればお金がたまっていくのは必然です。正しいことをして増えていくお金がどうして悪いものでありましょう。だから、労働&禁欲の成果であるお金は救済の証みたいに捉えられました。
繰り返しますが、労働は正義です。では資本家側は?
勤勉な労働者をめちゃくちゃ働かせて搾取したとしてもそれはOKでした。なぜなら労働は正義で、それをさせてあげる営利活動も当然天職=正義と考えられたから。
そうして労使ともにお金を稼ぐことは正義、お金を消費することは悪となったいま、貯まる一方のお金をどうすればいいのでしょう??そう、投資です。
さらなる営利活動のためにお金ををつぎ込むことも奨励されたのです。
資本の蓄積→その投資→さらなる資本…はい、これで資本主義完成~ (呂布カルマっぽく)
こうしてヨーロッパでできた資本主義はアメリカとかいろんなところに広まっていって、そのうちにパッケージとしての資本主義だけが残って信仰の要素は消えていったのだとさ。
めでたし、めでたし
というお話でした。簡単に、じゃなかったですね、すみません。
ただこの本が何で文系学生の必読書なんでしょうね。資本主義の成立過程を考察した、という点では革新的かもしれませんが・・・
まあ、なんとか、なるほどなあ~と思っていただけたでしょうか。
では、またこんど。