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名脇役についてのお話です。
こんにちは。わっさんです。今回はお湯のお話です。お湯。
お湯っていいですよね。他の飲み物は2Lで180円とかするし、麦茶は安いけど作るのめんどくさいし、水道水はタンクの不純物とかのせいでまずいし。でもお湯はほぼタダだし、湯沸かし器に水入れてボタン押すだけだし、お湯沸かした時に不純物全部飛んじゃうし、あとあったかい。生姜とか入れたらもっと美味しいし健康。けどそんなことをしたらお湯教原理主義者に怒られちゃう。混ぜ物入れたらお湯じゃないって。
中学の時に美術で2を取ってしまい公立高校への進学が危ぶまれた僕が描いた、お湯教の教徒が敬愛してやまないお湯神様。お湯教では偶像崇拝が認められている。右は個人情報。
しかしながらこのお湯。生協だと本当に人気がない。というか飲んでいる人を見たことがない。温かいものを飲みたい人は皆お茶を選ぶ。お湯は温かいお茶の下位互換に過ぎないのだから、温かいお茶が選ばれて当然? いや違う。なぜなら冷水は飲まれている。この寒い中冷水は飲まれている。すなわち「お茶でないこと」に価値を見出す層がいる。
しかし、お湯は飲まれない。
本当に?
調べてみよう |
もしかしたら、もしかしたら、お湯を飲んでいる人が存在するのかもしれない。認識の外に追いやられていた悲劇のTier。いるとすれば、彼らは我々に何を語るのだろうか。とにかく調べてみることにしよう。
場所は西生協のドリンクバー。調査期間は11月16日12:05〜12:55。この日は11月の国立にしては冷え込んでおり、気温は14度。お湯を飲むにはベストコンディションであるといえよう。
誰が何と言おうとこれはドリンクバー。
人数をカウントしていく。表記に統一感を出すため、やや日本語が不自然。ハゲを数えるつもりはない。
途中経過がこちら。
冷茶と温茶の熱いデッドヒート。冷水も健闘。温水は案の定。悲しい。温水は必要とされていないのだろうか。高橋克実と小日向文世さえいれば良いのだろうか。
ああ、この世は無情。
あっ。
何も見なかった。
で、最終結果。
冷茶と温茶はお手手つないで仲良くフィニッシュ。お手手つないだ部分は常温。
で、お湯。最終的に6杯出ました。よかった、温水。温水のシリアスな演技はやはりまだまだ需要があるようです。
……で、そのお湯を選んだ人はどのような人物なのだろうか。どのような事情があってお湯を選んだのだろうか。聞いてみることにした。
1人目:留学生 |
僕が「人が生協のドリンクバーでお湯を入れている」という姿を初めて目にすることになったのがこの方。すぐさま話を伺った。
ーーすいません、「ヒトツマミ」というサイトで記事を書いている者なんですが、現在「生協でお湯を飲んでいる人がいないんじゃないか」、という内容で調査とインタビューを……
「ア、スイまセン、日本語ガ少し、ワカラナくて&%#%`*>~?+~*}?}*|$、ゴメンナサイ……」
留学生の方でした。おそらくボタンを適当に押したのでしょう。なんにせよこれは、違う。何が違うのかはよくわからないが、とにかく違う。次だ。
2人目:ナイスガイ |
結論から言うと、彼も違う。彼が行ったのはお茶とお湯のミックス。原理主義者はご立腹である。とりあえず話を伺う。
ーーすいません、「ヒトツマミ」というサイトで記事を書いている者なんですが、現在「生協でお湯を飲んでいる人がいないんじゃないか」という内容で調査とインタビューを行っているのですが、少々お時間よろしいでしょうか?
「はい。大丈夫ですよ。」
ーーどうして今、お茶とお湯を混ぜたんでしょうか?
「お茶が濃いのと、あと量が少ないからですね。」
ーーなるほど、ありがとうございます。
「いえー。どうも。」
どうだろうか。確かに彼は原理主義者に断罪されるかもしれない。だが、彼はかなりのナイスガイであった(文章では伝わらないだろうが)。爽やかさの極みに達していた。一橋のくせに。ともあれ、お湯をミックスする理由は概ね予想通りであった。そもそも、彼はおそらくお茶メインでお湯を混ぜている。よってこれも違う。
やはり、お湯教徒とは幻想なのだろうか。温水はあくまで脇役に過ぎないのだろうか。
そんな時であった。
3人目:かわいそうな人 |
ーーすいません、「ヒトツマミ」というサイトで記事を書いている者なんですが、現在「生協でお湯を飲んでいる人がいないんじゃないか」という内容で調査とインタビューを行っているのですが、少々お時間よろしいでしょうか?
「はい、大丈夫です。」
流暢な日本語である。間違いなく日本人だろうし、お湯をお湯として認識している。しかもお湯を何かと混ぜたりしていない。これは期待できる。
ーー今、お湯を選ばれていましたが、どうして選ばれたんですか?
「誰にも選ばれていなかったからです。
友達のいない自分と重なり合いました」
深くは追求しないことにした。
というわけで、調査した限りでお湯を選んでいたのはこの3人だけだった。お湯の杯数が人数と合わないのは、かわいそうな彼がお湯を4杯飲んだからである。
ともあれ、お湯には一定の人気があり、決して不要なものではないことがわかった。また、あえてお湯を選ぶ人には何らかの事情があることも推察できた。
とにかく、結論としてはこういうことだ。
やはり温水は名脇役。
以上わっさんでした。