覆面作家と匿名社会

 

覆面作家・舞城王太郎の「短編五芒星」が芥川賞候補に挙がった時、選考委員の一人高樹のぶ子は「顔を隠してしか書けない作品を書いて欲しい」「覆面は『隠れ』ではなく、顔を晒す作家には真似の出来ない『攻撃』のために必要なのだ」という評言を残した。

しかしネット社会に目を向けてみると、この全て匿名の場所においてなされる「攻撃」は文学的であるとは言えない。

この二つの違いは何なのだろうか。私は「攻撃」の種類だと考える。

覆面作家は顔を隠すことにより、自分の経歴や社会のしがらみに囚われない自由な作品を発表できる。ここでの「攻撃」とは文芸界に向けたものであったり、はたまた社会や世界に対してだったりする。

逆にネットの場合、「攻撃」は他者に向けられている。他者への攻撃にはリスクが伴う。匿名で他者を攻撃するということは、結局そのリスクを負わないようにするための「隠れ」でしかない

 

 

 

 

ちなみにヒトツマミは覆面ライター募集中。