再始動
どうも。お久しぶりです。
一橋大学エクストリーム登校部 部長、Kです。
好きな言葉は「精神的に向上心のないものはばかだ」です。
最近、簡易うつ病検査を行ったところ、重度のうつ病だそうで、ただちに病院にいくことをおすすめされました。
ウソじゃないです。ホントです。
ちなみにトイレットペーパーはダブル派です。
シングルをつかうやつにろくな奴はいないがボクの持論です。
そういうやつも精神的に向上心がないんです。シングルのように薄っぺらい人生送ってるんです。
あ、そういえば『こころ』のKは東京帝国大学の学生でしたね。
うん、なんだろう。いまさらどうしようもない敗北感。
さて…
エクストリーム登校部再始動
です。
もともと月一ペースで敢行予定だったし、期末あったし、春休みはいったし、春は眠いし、しょうがないね。仕方ないね。
これからもよろしくね。
ぶっちゃけ飽きてました。すみません。
海を見る自由
突然ですが、みなさんは「海を見る自由」ということばを知っていますか?
2011年3月、立教新座中学・高校校長(当時) 渡辺憲司氏が、在校生に宛てた校長メッセージに、この「海を見る自由」というフレーズがでてきます。
2011年、そうです、あの年です。
震災の影響で立教新座中学・高校も卒業式が中止になったそうです。
ボクも一応被災三県出身なので、色々考えるところはあります。
日本全体がどう転ぶか分からない。誰も分からない。自分の隣も、100km先の誰かも、みんなが被災者。誰にも頼れない。頭によぎるのは最悪のイメージだけ。不安でしかない。ただただ不安。そんな鬱屈したムードの中で出されたこのメッセージ。熟読に値する名文です。
(http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/)
いろいろな名言が飛び出してますが、
一番核となるのは「大学にいくとは、海を見る自由を得るためではないのか」という問いでしょう。
「海を見る自由」
つまり大学生とは、海を見に行きたいと思えば見に行ける唯一の身分ということです。
はて?
ここで、オツムのよいチミたちは
「あはーん、どーせ、今回のエクストリーム登校で海見に行くんだろ」
そんなことを思ってるんでしょう。
浅いぞ。
少しだけ、話を聞いてください。
「大学生とは、自分で時間を管理できる最後の時」と渡辺氏は述べています。
中高は学校に自分を管理され、社会にでると会社に管理される。仕事や学校をほっぽらかして、海に行く。そんなことは出来ない。親に怒られるし、大人は家族を養わなきゃいけません。
でも大学生だったらどうだろう。
「今日は授業ぶっちして海を見てきたよ」と友達にいう。
だれもとがめません。だれも悲しみません。
むしろ笑ってくれる人が多いはず。
最悪、単位を落としても個人の責任です。
ん?そうか。
これが青春だ。
誰にもとらわれず、気ままに行動できる。
そしてその経験を色眼鏡なしで聞いてくれる友人がいる。
まごうことなき青春だ。
しかし、この青春はいつまで続くのだろうか。
エクストリーム〇〇の本家本元であり、たびたびこのエクストリーム登校部にTwitterで絡んでくださり、ボクとしては公認いただいていると(勝手に)思ってる「日本エクストリーム出社協会」のみなさん。
リスペクトしてやみません。大人でも遊び心を忘れないその姿、カッコイイ。
この方々のように、全力で楽しめる大人になりたい。
大学を出た後でもバカを楽しめる大人ってほんとカッコイイじゃないですか。
これも青春ですよ。青春。
でも、はたして、三年後、五年後、ボクも同じようことができるのだろうか。
エクストリーム登校ならぬエクストリーム出社なんてできるだろうか。
どうだろう。
どうだろう。
たぶん無理だ。
社会人になったら、いくらか”守り”にはいる。
大学生っていう身分に甘えるだけ甘えてでしか、ふざけたことはできないかもしれない。
でも、だからこそ、大学生という身分、「海を見る自由」に甘えて、その髄までなめ尽くして、エクストリーム登校部なんていう肥溜めのような活動に、現をぬかしていきたい。それでいいじゃないか。
「海を見る自由」があるなら、とことん謳歌してやろうじゃないか。
そうだ。
そうしよう。
そんなことを考えた数時間後…
結論:精神的に向上心ないってやっぱりばかだわ
次回へ続く。