もし一橋大学広告研究会の男子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら【前編】

※注意 この記事は、他と違っておもしろくありません。

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マネージャー就任

この記事の執筆者りんどばーぐが広告研究会のマネージャー(責任者・管理職の意)になったのは大学2年の夏のことである。このブログ「ヒトツマミ」を運営している一橋大学広告研究会HASCでは、3年生が8月末くらいで(一応)引退することになっている。そのタイミングで代表職が2年生に交代するのだ。今夏も慣例通りに引き継ぎが行われ、めでたく彼がマネージャーに就任したというわけだ。彼は生涯を通じて何らかの集団の代表やマネージャーなどと呼ばれる役職に就いたことがなかった。一橋大学には、来てみれば分かるが、「高校時代生徒会長やってました」「〇〇部の部長でした」「バイト先でチーフをやってる」という自己紹介をする人間がうじゃうじゃいるのだ。彼はそのような集団を率いるタイプではなく、例えて言うなら8番センターというようなポジションである。

そんな彼は冬学期に商学部基礎科目「マーケティング・マネジメント」なる講義を履修登録した。その講義で指定されたテキストは、『わかりやすいマーケティング戦略(第3版)』沼上幹・著(有斐閣)であった。買うのが面倒であったが、授業や小テストがそれに沿って行われるというから仕方なくメルカリで購入した。

商品購入時にサジェストされた中に、かの有名な『マネジメント』P・E・ドラッカー・著、上田惇生・訳【エッセンシャル版】があった。

全一橋大学商学部生が聞いたことだけはあるだろう名著である。『マネジメント』といえば、その本を手にした女子高生マネージャーを描いた小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(通称:「もしドラ」)岩崎夏海・著(ダイヤモンド社)が10年前くらいに流行ったことでも有名だろう。

りんどばーぐは少なからず悩んでいた。このサークルをいかにして運営していくのが正解なのかと。数週間後に一橋祭の開催を控え、模擬店出店の準備など文字通り組織の「マネジメント」能力が求められるタイミングであった。その中でメルカリの画面に表示された『マネジメント』を購入しない理由はなかった。

果たして商品が家に到着し、『わかりやすいマーケティング戦略』は開きもせずメルカリの受取評価を完了し早々に本棚に収納したのち、『マネジメント』を読み始めた。

マネジメントの役割

一番初めには、「マネジメントの三つの役割」が記載されていた。

自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。
仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって生計の質(かて)、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。
自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。

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・・・なるほど。マネジメントとは何やら組織の規律を正すとか、組織内の指揮命令をうんぬんするといったようなことだけではないと。彼は「ふむふむ」と実際に口にしながら読み進めた。

「HASCが社会に与える影響かぁ・・・?そんなものあるか?」
「ただ、事実ビジネスコンテストみたいな対外的な活動してるわけだから、影響ないこともないぞ。?」
「2番の”働く人たちを生かす”、これはとっても大事だな。「働く人たち」を「サークルメンバー」と読み替えれば、まるっきりうちにもあてはまる。メンバーが心から幸福に活動できなければうちのサークルの存在意義はないぞ」

HASCの定義

さらに読み進める。ドラッカーは「自社の事業をいかに定義するのか」が重要だとバカの一つ覚えのように随所で記していた。「われわれの事業は何か。何であるべきか」を定義しないと、組織内のあらゆる意思決定がひとつの方向を向いて行われないということだ。

「確かにその通り。マネージャーが行う意思決定がHASCの真の目的にかなったものじゃないと、みんなは「なんか違う」と感じて離れていってしまうだろうな。」
「しかし事業を定義するとは難儀だ。うちに限って言えば「広告研究会の事業は広告を研究すること」なんて言えないからなあ。」

広告研究会HASCが広告を研究したことは、りんどばーぐの所属中、ただの一度もないのである。

自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引き受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。

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さらにドラッカーは、「われわれの事業は何か」を定義するには「顧客は誰か」「顧客は何を買うか」を問うことが重要だとする。

1930年代の大恐慌のころ、修理工からスタートしてキャデラック事業部の経営を任されるにいたったドイツ生まれのニコラス・ドレイシュタットは、「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ」と言った。この答えが破産寸前のキャデラックを救った。わずか2、3年のうちにあの大恐慌時にもかかわらず、キャデラックは成長事業へと変身した。

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「もしドラ」でも、マネージャーのみなみは野球部の定義を考えるのに苦労した。しかしこの一節をヒントに、球場にお金を払って観に来てくれる人をはじめ、部員の親、高校野球ファン、そして野球部員など「野球に関わるあらゆる人」が顧客であることに気づき、「顧客に感動を与える組織」が野球部の定義であるとした。

「じゃあHASCは????」
「HASCに金を払おうとしてくれる人、ちょっとは居る。公式インスタに協賛の提案をしてくれる得体のしれない団体とか。あと部員はもちろんそうだ。それから、このブログを見てうちに入りたいって言ってくれた新入生もいたっけな。となると受験生とかも顧客かあ。あとは昔の話、HASCにプロモーションを依頼してきたサークルもあったみたいだから他の学内団体も追加で。」
「で、結局なんだろう。。競争相手から考えてみようか。うちの競争相手って、学内の他のサークルかな。よそと差別化できている点って何だろう、、、「自由」か?」

いいのか悪いのか、HASCには、決まってこれといった活動をするというのがない。ないに等しい。春と秋の初めに、めいめいがやりたい活動を持ち寄ってプレゼンし、人が集まれば「プロジェクト」として実行する。だから「お前のサークル何やってんの」と聞かれたときにはHASC部員は説明するのが面倒なのだ。

「自由」。。。うーん。
「俺はHASCにいるだけでなんか満足っちゃあ満足なんだよなあ。頭がいかれているとてもユニークな思考をする友達や先輩と過ごしているだけでなんかエクスタシーを感じてる自分がいるなあ。」
「そのなかに”いる”ことの価値を提供している??・・・・・それって「居場所」、か??」
「居場所・・ね、なるほど。でも居場所だと顧客が部員だけに限定されない?」
「たしかに、、、でも俺らってほんとにそんなに外向いて活動してるのか?自分たちが楽しくさえあればそれでいい理論で動いてるんじゃねえか?事実この記事だって読者の気持ちなんか三苫の1mmほども考えてないじゃん。」
「あ、まあ。じゃあ新歓は?俺らって何のために新歓してるの???・・そうか、「居場所」を「アップデート」しているのか。卒業した人が抜けて純粋に人が少なくなって、物足りなくなってくるわけだ。それで俺たちはまだ見ぬ面白い人物が入部するのを期待してるわけだ。」
「それでいうと、協賛を受け入れて金をゲットするのも、他のサークルと交流してフェス開いたりするのも、全部突き詰めれば構成員である俺たちにとっての「居場所」としての快適さを高めるためにやってたんじゃ??」
「・・・・わかんない。そういうことにしようか。」

この脳内議論を通して、HASCの顧客は部員たち、事業は「部員たちに快適な居場所を与えること」と定義された!

このときから、りんどばーぐの胸中には、部員の快適さ・幸せがpriorityであるという教義的なものが根付いたようだった。

HASCと仕事

さらに『マネジメント』を読み進めていくと、「仕事」に関する章にあたった。どんなお遊びサークルにも、仕事が付きまとう。仕事というのは面倒なものだ。ただ、仕事をすれば生産的な成果が必ずもたらされる。

ワークライフバランスという言葉は生活していれば8億回耳にする。

働く者が満足しても、仕事が生産的に行われていなければ失敗である。逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である。

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ブラック企業のマネージャーにぜひ聞かせたい言葉である。従業員が生き生きとしていないならばお前のマネジメントは失敗なのだと。

ところで、HASCの仕事ってなんだ?代表の仕事は、一言でいえばもろもろの雑事だ。二言でいえば全社的な行事の進行や団体継続のための事務・資料作成だ。そして副代表の仕事は代表のサポートだ。会計の仕事は金勘定と資金出納、帳簿づくり。イベント係の仕事は、食事会・合宿などの幹事。そのほかに目に見えない仕事、誰かがやっている仕事がある。「世界は誰かの仕事でできている」とはよく言ったものだ。誰かが仕事をすることでその仕事をしていない人間も恩恵を受けるのだ。これは素晴らしく尊いものだとりんどばーぐは思った。

とはいえ、仕事というのはすべて、する人にとって「嫌悪」というまでではなく「障害」というまででもないが、「かゆい」「いずい」ものであるということはいえるのではないか。

一般に、働くことと働く者の歴史は、とりたてて幸福なものではなかった。しかし例外はあった。働くことが成果と自己実現を意味した時期や組織があった。その典型が、国家存亡のときだった。

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自分の仕事が大義に貢献している(と知覚できる)ときには仕事に対する充実感が格段に高くなるとドラッカーは言う。

「うまく仕事の意義を知覚させられる方法はねえかなあ」

りんどばーぐには思いつかなかった。そこでさしあたり、みんなに積極的に「ありがとう」「助かるわ~」などと言おうと思った。

人のマネジメント

「人は最大の資産である」という章において。

人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。

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なんとも背筋が伸びる一文だと彼は思った。しかしここでドラッカーは、人の強みを発揮させ、人の弱みを中和すること、つまり人が最大限の成果を出せるようにすることが「人のマネジメント」だと言っている。

「まず俺は人の強みと弱みを知らなきゃなあ。全然知らないからな、いま。部員を飲み会に誘おう。」

このように彼は思ったわけだが、さらに読み進めると背筋が凍る思いをすることになる。

真摯さ

最近は、愛想よくすること、人を助けること、人づきあいをよくすることが、マネジャーの資質として重視されている。そのようなことで十分なはずはない。

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手を取って助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価しない。

このような資質を欠く者は、(略)マネジャーとしても、紳士としても失格である。

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マネージャーの仕事は究極、どこかで学ぶことができる。でも、唯一初めから持っていなければならない資質が、真摯さである、とドラッカーは言う。

「人づきあいよくすりゃいいんでしょって安易に思ってしまった。」
「”真摯さは紳士さ” なるほどねー」
「マネージャーとしての能力、才能はないかもしれないけどせめて、自分の仕事は真摯さをもってやろう...!」

威勢よくそう心に決めたはいいが、彼はさっそく記事の残りをいつ執筆するかも分からない後編に先送りすることを決断した。