うちの近くの小学校が、校舎の周りに児童の作った俳句を展示していたので共テ国語184点の筆者が勝手に添削してみようと思います。
まず初めに、5年生の子が詠んだ一句。
素晴らしい句。
日本中の子供たちのあるある、「日記をつけるのが三日坊主になってしまう」を見事に表現しています。下五「お金のむだ」が、経済的損失に対する嘆きだけではなく、挑戦したことへの後悔や、お母さんに怒られたことなどを想起させ、広がりのある句になっていますね。
「日記買う」は冬の季語。年末に来年の日記を買う情景が浮かび、希望が見える美しい季語だといえる。らしい。初めて知りましたw
まあ、この素晴らしい句を手直しするのは甚だおこがましいですが、筆者が詠むとするならば
日記買う 4ページ以降 メモ用紙
でしょうか。いやあ、説明的すぎて元の句の広がりが失われてしまいましたね、うーん才能ナシ!
続きまして
いやあ。なんという感性。与謝蕪村「菜の花や月は東に日は西に」を踏まえていることは明らかであり、三年生にして本歌取りを巧みに使いこなすのは称賛に値します。
寒さが一層増す夕方を描いたこの句は、温度の感覚をも想起させ本歌よりも優れているといっていいでしょう。
???「先生、これ添削はー?」
「いらない いらない(^^)/」
まさかの添削なしが出ました。今後の成長次第では特待生も狙えますね!
次の一句。
いやあ、渋い!三年生にしておでんの何たるかを完全に理解しています!寒い日のおでんに勝る風流がこの世にあるでしょうか。寒い夕方に公園でのサッカーから帰ってきた子供が、お母さんの「今日おでんだよー」に対して「ほっとする」、そんな情景がありありと浮かんでくる一句ですね。「ほっと(hot)」の掛詞もよい修辞になっていますね!
しかしながら、上五の「冬の日に」がストレートすぎてややもったいない感じがします。冬の季語「おでん」を使用していることからも冬を明記する必要はないのかなと思います。
この場合はおでんに出会うまでの背景を描写すると、読者に映像が浮かびやすいでしょうから、夕方体が冷え切ったことを表すように上五に「手足冷え」。続いて、帰路になんとなーくあったかい物が食べたいなと思っていたところ、家に入って「やっぱりおでんだよなあ」と安堵する(ほっとする)さまを描きまして、、、
手足冷え 予想通りの おでんかな
うーん、せっかくの掛詞のよさがなくなってしまいましてすみません。まだまだ筆者は才能ナシですわ。
次は筆者が少し理解に困った不思議な句です。
クリスマスは毎年12月25日と決まっており、「今年はいつ」などと気にすることはないように思えます。いやしかし、校舎に張り出されるくらいですから学年内での名句と評価されていることでしょう。何か秀逸な含意があるのだろうと思うと夜しか眠れません。ということでその意味するところをいくつか推測してみました。
①春分の日みたいに毎年の暦で変動するものだと思ってる説
あり得る。筆者が知らないだけで実際は毎年何分か遅れていってるのかもしれません。
②「自分にとっての」クリスマスは来ていない説
世の中には、「クリスマスは恋人と過ごすためのロマンチックな日」であると思い込ませるような歌やドラマなどのプロパガンダがあふれています。そのため、12月25日は非リア充の人々にとってはクリスマスではないと自虐的に曲解しているのかもしれません。その上で、胸を張ってその日をクリスマスと呼べるのは果たしていつになるのだろうかと思いを巡らせているのだとするならば、、、、
秀逸!!この上ない名句!!!!恋愛に絡んだ言葉を使わずにこれを表現するなんて凡人にはできません。才能大アリです!!
いやあ私もこんな句を詠んでみたいものです。
最後に、個人的ベスト俳句を紹介して終わります。
冬・冬・冬の韻でリズムがいい!冬・寒いをこれでもかと詰め込む感性、いいですね!中七「寒し」とするところも賢さがにじみ出ています。「冬の朝寒し」で時間・体感的背景を、「冬かぜ」で天気を、そして最後に「冬雲雀(ひばり)」で季語でもある風流な動物を描写しており、段階的に景色が明らかになる構成、実に見事です。直すところなんてありませんよ~
1ランク昇格ゥー!
以上、りんどばーぐでした。小学生のみなさんネタにしてごめんなさいネ。
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