最強の地元選手権 エントリーNo.4 国立あかるくらぶ
先日、「最強の地元紹介して下さい」という記事がヒトツマミに掲載された。これを見てサークル内で緊急アンケートを取った。
東京都国立市は最強と知っていましたか?
①知っていた ②今知った
①20%、②80%という結果はやはり国立市が最強であることを裏付けている。
しかしながら一橋生のなかには「国立市 is TSC(The Strongest City)」という厳然たる事実を認めようとしない方もいるようなので、今回はとある男性と街の成り立ちに触れながら国立市の紹介をしたいと思う。
なお記事中の“説”はあくまで諸説の中の1つであるし、あくまで個人の感想かも知れないし、効果を保証するものでも無いかもしれない事は予めお伝えします。
国立駅の近くにお住まいの宮崎さん |
私達のサークルは国立市を活性化しようと様々なことをしているが、この活動をいつも応援してくれている方の中に宮崎さんというすごい男性がいる。
どのくらいすごいかというと、彼の近縁の方はかつて立川のあたりにあった砂川町の町長をしていた。あの日本史の教科書に必ずのっている「砂川事件」の当時、国と闘っていた町長さんだ。もちろんウィキペディアに載っていた。偉人だ。すごい。
その子孫の宮崎さんは私が生まれるずっと前から国立駅の近くに住んでいるが、彼が国立という街の創世に深く関わっているという話が存在する。
↑左が宮崎さん。「おもしろい写真を撮りたい」というとご自宅からクワとカゴを持って来た。
ちなみに右は我がサークル代表の前田くん。
「国立駅=宮崎さんの駅」説 |
まずはこちら
新宿駅から国立駅までの地図である。もちろん最近nonowaWESTが開業したり、さかなや道場が閉店したり、インド人がカレー屋のチラシを配っていたりするあの国立駅である。
↑異様な程まっすぐな中央線
(Open Street Map and contributors、地図はCC BY-SA としてライセンス)
地図中央を東西に走るのがおなじみJR中央線。新宿から中野へカーブした後、一直線に国立へ向かっていることがわかる。それにしても真っ直ぐだ。
この直線は「建設当時、このあたりの武蔵野台地は無人で雑木林があるだけだったから」という説もあるが、これはもちろん当時の鉄道省が、国立に住む宮崎さんの都心への利便性を考えてのことである。(という説がある)
ただ、中央線が作られたものの宮崎さんはあまり鉄道を利用されなかったため、現在でも中央特快は国立駅を通過している(という説がある。)
ちなみに彼は週末になると競馬をたしなみに府中へお出かけする時がある。その際、電車が遅延してはいけないので国立から府中へは武蔵野線経由と南武線経由の2ルートの鉄道が敷設された(という説が(略))し、大宮競輪へ行きやすいよう大宮へ乗り換えなしで行ける「むさしの号」は一昨年から国立駅に停車するようになった(という(略))
宮崎さんを慕った学長の思い |
↑本の表紙は昔の国立駅の航空写真。森。森。森。
サークルの事務局に、国立観光まちづくり協会の理事長さんから頂いた「国立に誕生した大学町」という本がある。この中に一橋大学、当時の東京商科大学がなぜウルトラ都会で超便利だった千代田区を離れ、国立へ移転してきたのかという記述を見つけた。少し長いが引いてみる
「東京商科大学もまた大震災の厄にかかられまして(中略)。たまたま、わが社長と商科大学長佐野善作博士の理想とが一致いたしまして、ここに商大中心の我国最初の学園都市建設すなわち堤社長多年の経学が具体化するに至ったのであります。」
だそうだ。ここに出てくる「堤社長」とはあの西武鉄道の堤社長である。では佐野学長の「理想」とは何だったんだろうか。カブトムシやカモやタヌキやハクビシンや保育園児がキャンパス内にいる大学が作りたかったのだろうか。
たぶん違う。
↑彼の自作のオフィス。ノマド文化の最先端を行っている。
宮崎さんは昔、「宮伝商店」という商店を営んでいた。これで全ての線がつながる。もちろん「移転を機に、ヨーロッパにならった素晴らしい環境の学園都市を作る」ことを「理想」とした説もあるが、宮崎さんの商店経営に目をつけた佐野学長が「『理想』の経営、宮崎の経営に商業を学べ」ということで国立市に移転を決めたというのが真相だろう。(と(略))
↑大学図書館の裏にある北門。宮崎さんの自宅の方を向いている。
「国立市=宮崎さんの庭」説 |
国立の街のメインストリート大学通りは宮崎さんが自動車を運転するようになったタイミングにアスファルトで舗装されたし(という(略))、宮崎さんが「邪魔だなあ」と言ったら中央線は高架化された(という(略))。
そろそろ彼の最強さがおわかりいただけただろうか。
あんまり長くなると編集部のみなさんにご迷惑を掛けるかもしれないが、私はHASCさんの部員でも無いので特に気にしない。
ところでみなさんは国立駅周辺にはゲームセンターやパチンコなどが無いことに気づいただろうか。この一帯が「文教地区」に指定され、商売できる業種が限られているからだ。
「戦後、立川に米軍基地があった時期に風俗店など教育上好ましくない地域が国立まで広がらないように文教地区が地域の総意で設定された」という説もあるが、もちろんこれは当時、少年であった宮崎さんの教育環境を守るためである(という(略))。
もちろん国立の南の地域の豊かな自然も宮崎さんの遊び場として多摩川が用意したものだ(略)。
↑谷保より南の国立市はこんな感じ。ゴミ拾いに行った。
各業界も気を遣う宮崎さん |
国立市にあるいろいろな物をみていると、それを作った人が彼に気を遣ったんだろうなあ、というものがいくつもある。
例えば市の南部にある中央道「国立府中インターチェンジ」、もともとは立川市や日野市に作られる計画だったがやはり宮崎さんの利便性を考え、計画が変更された(という(略))。
その他にも野球好きな彼のために、週刊ベースボールでおなじみ「ベースボール・マガジン社」は1946年から10年間、国立市に編集部を置いていたのはあまりに有名(略)だし、彼の健康を気遣ったヤクルトは市内に研究所を置いている(という(略))。
国立駅に最近開業したnonowaでも食べるのが大好きな彼のためにご自宅に近い西側(nonowa WEST)に惣菜屋やスーパーが集められた(という(略))。
ちなみに一橋大学で撮影されたことでお馴染み福山雅治主演の「ガリレオ」だが、これもまた元々主演は宮崎さんの予定だったが、ロケ地が決まったあと何らかの都合で彼が下りたため急遽福山雅治になったという噂もある。これは流石に私でも嘘だと思う。これはあまりに有名な話だ。
↑ドラマで度々出てきた「ガリレオベンチ」。池にカモの親子が居た
まだまだ国立市と彼の関係に関する説はたくさん思いついた存在するが、それはぜひ彼に会って聞いて欲しい。
すこしでも国立市に興味を持っていただけたなら良かったです。これからも国立市よろしくお願いします。
今日の国立も晴れている。宮崎さんのために(という説もある。)
執筆
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